2013年11月10日日曜日

2013年10月 急行「ゆのさぎ」準備・台紙編

鉄道遊走、里見です。

切符編に続き、台紙編です。

台紙付きの記念切符は去年に続き2度目ですが、前回、

 ・台紙の紙の厚さが薄かった
 ・色が途方もなく悪かった
 ・やっぱり二つ折りの方が見栄えが良い
 ・ビニールが薄すぎた

という反省の元、

 ・印刷所の変更(今回はプリントパック)
 ・厚紙の変更(今回はホワイトアートポスト220)
 ・A5サイズ二つ折りに変更
 ・ビニールを0.04mmに変更

にそれぞれ変更したところ、今回は一般小売りされている記念切符セットとほぼ同等のものが出来上がったと思っています。

さて、その台紙の方ですが、いつも通りイラストレータでデザインして入稿しています。
そして出来上がった物はこちらです。

まずは表と裏面です。
これらの写真、どこかで見た覚えのある方、いらっしゃるのではないでしょうか?
4月1日のエイプリルフールネタで使った写真をそのまま使用しました。
2004.7.31 のと鉄道能登線飯田〜珠洲間(現・廃線) 9301D「リバイバル能登路」
表面の写真の元画像はこれです。
急行「能登路」は現役時代は一度も撮影できず、撮影の機会に恵まれたのがこの時の「リバイバル能登路」だけでした。
この画像のヘッドマークを「ゆのさぎ」に差し替え合成し、トリミングして使用しました。丁度、モデルにした「能登路6号」も2両編成でした。
2004.7.31 のと鉄道七尾線西岸〜能登鹿島間 9301D「リバイバル能登路」
裏面の地に使用した写真の元画像がこれです。
この時は特に何とも思わなかったのですが、まさかこの後、何度もこのポイントで撮影することになるとは思いませんでした。
側面に日が当たっていないので、ヘッドマークを「ゆのさぎ」に差し替えの上、セピア調に変換して下地に使用しました。
1997.5.31 JR東日本高崎線宮原駅 9339レ「メモリアル能登」
裏面の右上の写真の元画像です。
皐月さんは急行「ゆのさぎ」と急行「能登」を乗り継いで上京したという設定にした訳ですが、その当時の「能登」の写真がなければどういう列車か、知らない方には解らないと思っていました。
1992(平成4)年当時の「能登」は14系を使用した客車編成で、これは1993(平成5)年3月18日ダイヤ改正で489系に電車化されています。この客車編成時代の「能登」、当時、八高線のキハ30系やDD51のセメント列車を追っかけてる中学生だった私が撮っているハズもなく、果てさてどうしたものかと思い倦ねていたときに思い出したのがこの写真でした。
これは長野新幹線開業に伴い横川〜軽井沢間の碓氷峠区間が廃止になる前に、様々なイベント列車が運転されたなかで乗りに行った列車がこの「メモリアル能登」でした。編成は14系寝台車6両なので、当時の14系座席車5両に寝台車3両の編成とは異なりますが、雰囲気は解ると思ってこの写真を使いました。
2004.7.31 のと鉄道七尾線西岸駅 141D(左) 9302D「リバイバル能登路」(右)
裏面の左下の写真の元画像です。
劇場版花咲くいろはHSHの劇中でNT100形が登場したので、NT100形の写真を入れたいと思いつつNT100形をまともに撮影した覚えがなく、唯一まともに撮っていたのがこの西岸駅での交換の写真でした。まさか、この時は7年後に何度も足を運ぶことになるとは思いもしませんでした。
こちらもヘッドマークを「ゆのさぎ」に差し替えて使用しました。

続いて中面です。

まず中面の地ですが、これは1992(平成4)年2月号の時刻表を参照して七尾線・能登線のダイヤグラムを作成しまして、

上記画像のように青焼き風に加工して使用しました。画像が重すぎるので、不要部分はカットしています。
台紙ではカット写真などで見難くなっていますが、元データでは「スーパー雷鳥」とか「のと恋路号」とか懐かしい列車名が読み取れるかと思います。
ちなみに、「能登路6号」の西岸駅通過時間はこのダイヤグラムから割り出しています。
2004.7.31 のと鉄道七尾線西岸駅 9302D「リバイバル能登路」
続いて中面上の写真です。
駅撮りの際に、子供達が見に来ていたのでズームして進入を撮ったスナップカットです。「リバイバル能登路」を西岸駅で撮影したことすら完全に忘れていましたので、このポジを見たときには本当に驚きました。それも、今では「ゆのさぎ」の駅名板に交換されている方でこの列車を撮影しているとは思いませんでした。
なので、ヘッドマークのほか駅名板も「ゆのさぎ」に差し替えて使用しています。駅名板の方は気が付かれましたか?
このあと141Dが入ってきて、出発のシーンが裏面左下の写真になります。

さて、ここからは少し余談なのですが、1992(平成4)年当時の能登路は、これら写真のような国鉄急行色ではありませんでした。
アイボリーに青色の細いストライプの七尾線急行色で能登路は運行されていたのですが、台紙を作成するに当たって、その時代の写真が無いかどうか探してみました。
2003.9.1 JR西日本高山本線千里〜速星間 9920D
まず出てきた写真がこれです。
おわら風の盆の臨時列車で、前2両が能登路で使用した車両でした。
2002(平成14)年3月23日のダイヤ改正で急行「能登路」が廃止になったあとも波動用に金沢に残った2両で、この2両が後に国鉄急行色に戻されて「リバイバル能登路」が実現しました。
このいわゆる金沢色と呼ばれたカラーリングは1992年より後に変更された塗色で、実は私がこれを撮影したのはこの時が最初で最後だったりします。ちなみにその後に続く高岡色は、キハ28、キハ53型1000番台、キハ28後期型で、今こんな編成が走ってきたら大変なことになるんでしょうね・・・。

他にないか、そういえば家族旅行で能登に行った記憶があったので、
1990.7.29 のと鉄道能登線のと穴水駅/JR西日本七尾線穴水駅 141D(左) 102D(6122D)「のと恋路号」(中) 368D(右)
探したら出てきました。
この時は九十九湾小木からのと穴水まで「のと恋路号」に乗せて貰ったのでした。その時に撮った写真がこれです。ちなみに小学校5年生の時の写真です。
右に移っているのは普通列車用のキハ58系で、急行用と普通列車用とで塗色が異なっていました。この時はただ撮っただけでしたが、ブログに使用するに当たり、改めて時刻表を調べてみたらこの368D、七尾から312D「能登路12号」となる列車なので、本来なら急行用の車両が充当されていなければならない列車でした。これが七尾線急行色であったら使えたのですが・・・。
1990.7.29 のと鉄道能登線のと穴水駅 141D(左) 102D(6122D)「のと恋路号」(右)
劇中に出てきたNT100も撮っていました。
この当時、能登線だけの時ののと鉄道の穴水駅は行き先幕にある通り「のと穴水」でした。この後、七尾線を継承した際に現在の「穴水」へ改称されています。
背景にあるのと鉄道のと穴水駅の駅舎、現在はのと鉄道本社になっている建物ですが、現在と大分様子が違っていたり、柵の横が駐車場になっていなかったりと、時代の変化が伺えます。

このあと、改札を出て家族との合流で30分待ちぼうけ喰らったあと、また穴水から和倉温泉まで列車に乗せて貰えることになり、
1990.7.29 JR西日本七尾線穴水駅 372D
ホームにはなぜか緑色の車両が居ました。これ、確かJR西日本側の高山本線で使用していたカラーだったはずです。
「JR 七尾線のりば」とありますが、この時は1番ホームは跨線橋から後ろ寄りがのと鉄道1番ホーム、そして前寄りがJR西日本の1番ホームとして、同じ上り本線ながら停止位置を変えて使い分けていました。なので、上記写真の「のと恋路号」が輪島方にズレて停まっているのはこのためです。
1990.7.29 JR西日本七尾線穴水駅 372D
逆行承知で先頭から撮ったのがこちら。前2両は七尾線一般色であることは判るのですが、3両目がなんとも言えないのですが、急行色の細いストライプに見えないので七尾線一般色であると思います。結局、1992年当時使用していた急行色の写真はなかったのでした。
しかし穴水駅構内、この当時に検修庫がないことに驚きました。今の現状から国鉄時代の建物と思っていたのですが、そうではなかったのですね・・・。

以上、昔の穴水駅の様子を含めた余談でした。

準備編、続きます。

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